「不在の選挙」展 選挙という行為についての考察する展覧会 第一声の為のメモ
北川貴好
7月10日に日本で選挙があります。その日を前後し、少しだけ日本が変わります。少しだけ、慌しくなるこの時期、投票という行為をみんなが同じ時期に行います。そして最近、投票つまり票を投げるという行為を巡り幾つか身近な出来事があります。日本の投票率の低下がよく叫ばれています。が、しかし、英国の国民投票によるEU離脱、アメリカのトランプ現象これらに言えることは、たとえ投票率が上がろうとも、ポピュラリズムによって、投げ込まれた票の行く末は、最良の選択をしているのか?というとそういうことも言えません。そもそも、私や友人も、選挙について、日頃SNSなどの投稿で訴えを投げかけてますが、所詮はネット空間の出来事で、基本的にネットという広大な空間に投げ入れる事が主な目的になっています。そして投込むために準備していた基本的な情報源は、ニュースやメディアに頼るところが多く、これらの情報が正しいものか疑われたまま、すこしの情報を頼りにし、最終的には、投票の行為を行っております。それが、最良の選択だったかは、わかりません。
では、立候補者の主張を聞けば良いのではないか?とも思います。しかし、候補者のポスターを見ても、顔の印象しかわかりません。候補者が主張する事が書かれたビラなど参考にすれば良いのかとも思います。しかし、区役所に行っても置いておらず、いったいどこで手に入れれば良いかわかりません。
実は私は、2年前に知り合いの国政選挙の出馬を手伝った経験があるのですが、そこで、候補者の視点での選挙の見え方を経験しました。候補者が政策を訴えるのが選挙活動の重要なことなのですが、そのツールは、かつて、昔に作られたツールで、多くの制約が伴います。
公職選挙法に定められたルール。
例えば、走行中の選挙カーでは、選挙演説をしてはならず、名前の連呼のみ。政策のビラは、選挙演説してる時のみ配布可能で、色んな場所に置いては駄目なのです。では、どこにでもできる、街頭演説がありますが、日本には広場がなく歩道や車道も狭く、なんとも人の主張を聞くに難しい場所しかありません。
情報の発表、拡散方法が制約されたまま、候補者は、選挙期間中最良のプレゼンテーション、パフォーマンスを問われるのですが、本当にできているのでしょうか?
そんななか、我々は、結局のところ印象でしか最終的な候補者の名前を書かかざるおえなくなります。
選挙とは、候補者が主張をアピールし、それを有権者が審判しなければならないのだが、政治の事を本気で考えてる候補者は、本当に表現しきれるのだろうか?
候補者の表明不在のままの選挙活動
候補者への信任不在のままの投票
国民の意思が不在のままの採決
そこにある 不在の選挙
選挙もアートと同じ表現行為の側面があります。
だが、個人の意思が巨大なシステムで不在になってしまっている。我々はこの不在感を抱えた不在者でもあります。そんな不在者が、美術という装置によって、なんとか存在を生み出そうとする場を創りたい。
既存の枠組みから離れた場所で、表現の行為を機能させようと試みるオルタナティブスペースで、この不在の選挙の中で感じ取ったことを作品にし、展示すること。政治や選挙にこそ、この枠組みから離れたオルタナティブな表現の行為と場が必要であります。
投票だけでは得ることができない関わりを現実の空間に作り出すこと。そのことによって、我々は、少しでも多くの希望がみえてくるはずだから。
2016年7月3日
不在の選挙 第一声担当者 北川貴好