「不在の選挙」第四声の為のメモ
佐藤史治+原口寛子
佐藤史治+原口寛子というアーティスト・ユニットとして活動しています。
今回は佐藤と原口の短いエッセイと、展示場所についてのメモを下記に記します。
・小学生と政党ポスター
僕が住んでいる家の前には、いろんな政党のポスターが貼ってある。
帰宅する途中の夕方頃、4、5人の小学生くらいの男子が自宅の前ではしゃいでいた。家の前が登下校の通学路になっているので、よくみる景色だ。微笑ましく思っていると、「キース!キース!」という合唱が聞こえてきた。どうやらジャンケンで負けた男子が、政党のポスターになっている青年議員とキスをするという罰ゲームのようだ。アホすぎる!
今でもそのポスターを見ると、つい思い出して笑ってしまう。もしも選挙権が8歳になっていたら、あの男子たちは誰に投票したのだろう?(さ)
・小学生と政党ポスター2
高円寺駅北口のロータリーで例の青年議員を見た。小学生男子が、罰ゲームとしてキスをしていた、あの、ポスターの青年だ。彼は屋根付きのワゴン車の上に立って演説をしていた。車の周りにはのぼりが立ち並び、たくさんの人が彼を見て、「そうだ!」と声援を送っている。しばらく彼の顔を眺めたあと、目当ての展覧会の閉場時間が迫っていることに気がついた私は、熱心に話を聞く人の間を通り抜け、ギャラリーへと向かった。
それから数ヶ月後、自宅からアトリエへと向かう途中で、また彼を見た。今度は参議院議員選挙のポスター掲示板の中にいた。たくさんの候補者が力強い笑顔でこちらを見ている。
もし、あのキスが無かったら、インターネットやテレビ、新聞、ラジオなどで彼を知ることはできただろうか?(は)
・福島とヒップホップ
職場が三軒茶屋にある。
退勤後、いつものように駅前の喫煙所へ一服しに向かうと、社民党の福島みずほさん(らしき人)がいた。他の人が応援演説するなか、「福島みずほ」と書かれたタスキを斜めに着用した小柄な女性がビラを配っていた。彼女に小柄なイメージがなかったのでピンとこなかったが、握手を求められている姿を見るに本人なのだろう。しかし、明らかにビラのグラビアで微笑む福島さんの方が若くみえる。
気になってきて演説の様子を観察してみると、BGMから知ってるメロディーが流れてきた。EVISBEATS feat. 田我流の「ゆれる」だ。ヒップホップと福島みずほ。なぜだ。分からないことが多すぎる。
帰りの電車ではフォトショップのオペレーターと選曲した人に思いを巡らせて、それから今回の展覧会について考え始めた。(さ)
・タブーな話し
職場では政治・宗教・野球の話をしてはいけないらしい。そんなバカな、と思いながら就職をしたが、本当にそうだった。世間では、自分が何を信じ、支持するのかを主張するのは良くないことだという。なぜなら、場の空気が乱れるから。
選挙では、たくさんの候補者が毎日演説をし、自分の信念を主張する。誰に投票をすればいいのか……悩むたびに、あの「空気」が脳裏を包む。もやを振り払い、できるだけ新聞を読み、ポストに入っていた候補者たちの主張に目を通してみる。正しい情報を得られているのかは分からないけれど、この時だけはせめて自分が「空気」にならないように、したいものだと思う。(は)
・巨大なシステムと小さなスペース
北川さんが「個人の意思が巨大なシステムで不在になってしまっている」と第一声明で述べていました。この「不在者」は選挙に限らず、この社会の至るところで見られるように思います。僕の身近なところだと、「新卒」もそうでしょう。さらに卑近な例だと、予備校や美大なんかもある意味でそうだと思います。例えば、武蔵美っぽいとか、先端っぽいとか。東京の美大を出ていない僕には疎いんですが、それでもツクバ系などと言われたりもします(とくに低速モーターとかは使ってないんですが、なぜか。)。
さて、ついでに美大生の話を続けると、発表する場についてもそうかもしれません。ギャラリーに所属する機会なく卒業したアーティストの卵たちは、大学に残るか、コンペに応募するか、貸しギャラリーで展示するか、あるいは画壇で発表するか、という選択肢しか(少なくとも22歳の僕には)与えられていないように見えました。僕の周りの先輩/同級生/後輩は、そのシステムの中で続けていくか、あるいは制作をやめてしまうかという2択がほとんどでした。
オルタナティブ・スペース(便宜上、こう呼びます)は、こうしたシステムに対する代替的な場です。もちろん、こういったスペースが閉鎖的(控えめに言っても、内輪的)であるという指摘は否定できません。しかし少なくとも当時の僕にとっては、上記に挙げたような発表の場所・制度に対する、もう一つの可能性として目に映りました。居場所が欲しければ、自分で作ってしまえばいい。
また、ここは発表の場でもありますが、シェアアトリエでもあり、溜まり場です。そして「10日後に選挙についての展覧会をしたいんだけど、どうですか?」といった無茶なオファーにも応えられる人たちが利用しています。このオファーに気軽に応える溜まり場こそが、現体制へのオルタナティブであり、「不在」を「在」にできる可能性ではないでしょうか。そんな場所を持つことができた自分を、少し誇らしく思います。(さ)
2016年7月6日
不在の選挙 第四声担当者 佐藤史治+原口寛子
佐藤史治+原口寛子
佐藤史治+原口寛子というアーティスト・ユニットとして活動しています。
今回は佐藤と原口の短いエッセイと、展示場所についてのメモを下記に記します。
・小学生と政党ポスター
僕が住んでいる家の前には、いろんな政党のポスターが貼ってある。
帰宅する途中の夕方頃、4、5人の小学生くらいの男子が自宅の前ではしゃいでいた。家の前が登下校の通学路になっているので、よくみる景色だ。微笑ましく思っていると、「キース!キース!」という合唱が聞こえてきた。どうやらジャンケンで負けた男子が、政党のポスターになっている青年議員とキスをするという罰ゲームのようだ。アホすぎる!
今でもそのポスターを見ると、つい思い出して笑ってしまう。もしも選挙権が8歳になっていたら、あの男子たちは誰に投票したのだろう?(さ)
・小学生と政党ポスター2
高円寺駅北口のロータリーで例の青年議員を見た。小学生男子が、罰ゲームとしてキスをしていた、あの、ポスターの青年だ。彼は屋根付きのワゴン車の上に立って演説をしていた。車の周りにはのぼりが立ち並び、たくさんの人が彼を見て、「そうだ!」と声援を送っている。しばらく彼の顔を眺めたあと、目当ての展覧会の閉場時間が迫っていることに気がついた私は、熱心に話を聞く人の間を通り抜け、ギャラリーへと向かった。
それから数ヶ月後、自宅からアトリエへと向かう途中で、また彼を見た。今度は参議院議員選挙のポスター掲示板の中にいた。たくさんの候補者が力強い笑顔でこちらを見ている。
もし、あのキスが無かったら、インターネットやテレビ、新聞、ラジオなどで彼を知ることはできただろうか?(は)
・福島とヒップホップ
職場が三軒茶屋にある。
退勤後、いつものように駅前の喫煙所へ一服しに向かうと、社民党の福島みずほさん(らしき人)がいた。他の人が応援演説するなか、「福島みずほ」と書かれたタスキを斜めに着用した小柄な女性がビラを配っていた。彼女に小柄なイメージがなかったのでピンとこなかったが、握手を求められている姿を見るに本人なのだろう。しかし、明らかにビラのグラビアで微笑む福島さんの方が若くみえる。
気になってきて演説の様子を観察してみると、BGMから知ってるメロディーが流れてきた。EVISBEATS feat. 田我流の「ゆれる」だ。ヒップホップと福島みずほ。なぜだ。分からないことが多すぎる。
帰りの電車ではフォトショップのオペレーターと選曲した人に思いを巡らせて、それから今回の展覧会について考え始めた。(さ)
・タブーな話し
職場では政治・宗教・野球の話をしてはいけないらしい。そんなバカな、と思いながら就職をしたが、本当にそうだった。世間では、自分が何を信じ、支持するのかを主張するのは良くないことだという。なぜなら、場の空気が乱れるから。
選挙では、たくさんの候補者が毎日演説をし、自分の信念を主張する。誰に投票をすればいいのか……悩むたびに、あの「空気」が脳裏を包む。もやを振り払い、できるだけ新聞を読み、ポストに入っていた候補者たちの主張に目を通してみる。正しい情報を得られているのかは分からないけれど、この時だけはせめて自分が「空気」にならないように、したいものだと思う。(は)
・巨大なシステムと小さなスペース
北川さんが「個人の意思が巨大なシステムで不在になってしまっている」と第一声明で述べていました。この「不在者」は選挙に限らず、この社会の至るところで見られるように思います。僕の身近なところだと、「新卒」もそうでしょう。さらに卑近な例だと、予備校や美大なんかもある意味でそうだと思います。例えば、武蔵美っぽいとか、先端っぽいとか。東京の美大を出ていない僕には疎いんですが、それでもツクバ系などと言われたりもします(とくに低速モーターとかは使ってないんですが、なぜか。)。
さて、ついでに美大生の話を続けると、発表する場についてもそうかもしれません。ギャラリーに所属する機会なく卒業したアーティストの卵たちは、大学に残るか、コンペに応募するか、貸しギャラリーで展示するか、あるいは画壇で発表するか、という選択肢しか(少なくとも22歳の僕には)与えられていないように見えました。僕の周りの先輩/同級生/後輩は、そのシステムの中で続けていくか、あるいは制作をやめてしまうかという2択がほとんどでした。
オルタナティブ・スペース(便宜上、こう呼びます)は、こうしたシステムに対する代替的な場です。もちろん、こういったスペースが閉鎖的(控えめに言っても、内輪的)であるという指摘は否定できません。しかし少なくとも当時の僕にとっては、上記に挙げたような発表の場所・制度に対する、もう一つの可能性として目に映りました。居場所が欲しければ、自分で作ってしまえばいい。
また、ここは発表の場でもありますが、シェアアトリエでもあり、溜まり場です。そして「10日後に選挙についての展覧会をしたいんだけど、どうですか?」といった無茶なオファーにも応えられる人たちが利用しています。このオファーに気軽に応える溜まり場こそが、現体制へのオルタナティブであり、「不在」を「在」にできる可能性ではないでしょうか。そんな場所を持つことができた自分を、少し誇らしく思います。(さ)
2016年7月6日
不在の選挙 第四声担当者 佐藤史治+原口寛子