「不在の選挙」展 第三声
曽我高明
あー、あー、聞こえますか?マイク入ってる?えーと、高いところから失礼します。みなさん、こんにちは!曽我高明と申します。今日はお暑い中「不在の選挙」展・押上駅前立会演説会にお越しいただき、どうもありがとうございま!すごいですねー、スカイツリーの足元に、こんなにたくさんの人が集まってるのを見たのは初めてです。
えーと、ぼくは、この二つ先の東向島駅の近くで、1997年から今年の1月まで、古い工場を改装した場所を使って、現代美術製作所というアートスペースを運営してました。そのほかに、NPO法人のメンバーとして、時々地域アートプロジェクトの裏方なんかも行っています。
さて、このたびアーティストの北川貴好さんから、2016年の参議院選挙に合わせて、「選挙フェス」じゃなかった、「不在の選挙」展を開催したいっていう話を聞いて、それも、政策じゃなくて「選挙そのもの」をテーマにするっていうコンセプトを伺い、そりゃ面白いと思って、即決で参加することにしました。「選挙」という仕組みにフォーカスすることで、よりラディカルに政治的な可能性を秘めた展覧会になると、直感したからです。
それで、その話を聞いたのが、ついこの前の7月1日なんですよ!ぶっちゃけ、10日弱で展覧会を準備するなんて、フツーじゃ有りえないぞって思いましたけど、北川さん曰く「まあ選挙って、たいていバタバタするもんやし」っていう言葉になんとなく納得させられたっていうか。しかも、最初はほんのお手伝いのつもりだったんですが、なんと、ぼくも弾みで作品を出すことになってしまって、今まで運営側にばかりいた人間としては、ちょっと勝手が違うぞと、実はすごく新鮮な気持ちでいたりします、はい。
で、すごく大事な「参議院選挙」ですよねー。7月に入って急に暑くなりましたけど、どうなんでしょう、ぼくらはこの選挙、熱く盛り上がってるんでしょうか?もう、期日前投票を済ませたって人います?あ、けっこういるんですね。でもなんか、ここにお集まりのみなさんは別として、世間では、まだまだ選挙への関心が薄いんじゃないかって、ぼくは心配性なんで、思ったりしてます。「国政」とか「選挙」って、ふだんの日常から遠いですよね。この「遠さ」って、なんなのだろうって、いつももどかしく感じています。
これまで自分がアートプロジェクトの現場で悩んできたのは、参加者に「当事者意識」をどうやって持ってもらえるかっていうことでした。誰かが先にすっかりプログラムを決めてしまって、あとから変更の余地がなんにもなくて、ボランティアの人は単なるお手伝いっていうプロジェクトには、ぜんぜん当事者感覚持てませんよね。一見うまくいっているようでも、実は地域に根付かないんです、そういうプロジェクトは。ぼくも、完全に満足のいく活動なんて一度もできたことはないですけど、参加者一人一人の当事者意識の大切さだけは、いろいろ経験して、いくらか学ぶことができたような気がしてます。
ええと、それで今度の選挙ですが、みなさんには、自分が「当事者」だって実感がありますか?選挙はぼくらの代表を選ぶ大切な機会なんですけど、なんか、立候補している人も、政党も、選挙の仕組みも、みんな自分から「遠い」感じがしませんか?これはぼくらの責任なのか、あるいは、選挙の制度そのものに理由があるんでしょうか?ぼくにもはっきりわからないんです。でもこれって、もしアートプロジェクトだったら、間違いなく失敗のケースなんですよ。こんなにプロジェクトと参加者の「距離」が大きくて、なおかつ参加者の「当事者意識」が希薄な状況って。
ということで「不在の選挙」展の話になりますけど、この展覧会は、さっきもお話ししように、今の選挙のあり方について、自由にアプローチが可能な、ゆる~い括りのコンセプトになっています。もちろん北川さんと事前の意見交換はあるものの、それはなるべく最小限で、参加者の解釈に委ねられている部分が大きい。みんな予算は持ち出しですけど、テーマがテーマだけに、アーティストのモチベーションはとっても高いんです。短期間であっという間に参加者が増えて、とってもカオスで面白い展開になってます。
さて、今回の自分の展示の話なんですが、ぼくは選挙では「組織票」っていうのが長年の疑問でした。この候補者は「組織票」に支えられているから強い、とか言いますよね。あれ、よくわからないんです。ぼくは、どんなに頼りなくても、最後は自分の意思と判断で一票を投じるのが選挙だと思ってきたので、「組織票」っていうのがどうしてもわからない。それに、誰が誰に投票したって、基本的に誰にも知られないはずじゃないですか?なのどうして、票読みができたり、得票数の予測が立ったりするんでしょう。「組織票」を入れる人って、なんて「組織」に忠実な人なんだろうって、いつも感心してます。いや本当に。てことで、ともかく「組織票」は存在してるらしいけど、ぼくは現実には「組織票」を投じている人を見たことがないし、会ったこともない。確かにいるはずなのに、でも「不在」ですよね。これ、作品になるんじゃないかなと思いました。
あ、そうだ、ちょっとこの機会に質問しようかな。この中で「組織票」を入れたことのある方って、います?え、いる?そこの方、あとでお話聞かせてくださいね。
えーと、もうひとつ、今回の選挙で大切なトピックスは、18歳からの選挙権が認められたってことでしょう。今回、選挙年齢が引き下げられて18,19歳合わせて240万人も選挙人口が増えたんだそうです。ここにもたぶんいらしてると思います。でも、高校生はなんだか選挙活動がしにくそうだったり、少し存在感が希薄な感じがします。本当は、彼らがいちばん当事者意識を持っているかもしれない。でもそれが、少なくともこの選挙では、あまり見えてこない気がします。あーでも、ぼくはこの数年テレビも新聞も見てないから、いろんなメディアで特集や取材が組まれてるのに無知なだけかもしれませんけど。
というわけで、「不在」っぽいものを可視化するため、ここに持ってきたみたいな、「組織票」と「18歳」っていう文字を入れた白いTシャツを2種類つくってみました。え?なんで白かって?いやこれ、家の近所の「はんこ屋さん21」で発注したんですけど、最短でつくってもらうんで、デザインに凝る余裕がなかっただけです。で、これを着て、投票に行くもよし、今日みたいに立会演説会を聞きにいくもよし。投票するときにはっきり見えるよう、文字は背中に入れています。それを見た人が、現実の選挙を取り巻く状況について、いくらかでも考えるきっかけに、なるかどうかわからないけど、そんなきっかけになればと。ちなみに、このTシャツを着て、投票所の前で一緒に写真撮影に協力してくれる方も募集中です。「心は18歳!」って方なら、見た目18歳でなくてもOKです。
ついつい話が長くなっちゃいました。あとがつかえてますから、今回使わなかったアイデアを紹介して終わりにしたいと思います。選挙で気になっていること、もうひとつあって、それは投票所での「本人確認」です。ずーっと昔に新宿に住んでいた頃ですが、ぼくの記憶では、当時投票所にハガキを持っていくと、投票用紙をもらう前に生年月日を尋ねられたりしました。でも、いつからか、そういうこと、なくなったんですよね。「曽我さんですか?」「はい」で、本人確認がおしまい。どう考えても簡単すぎるじゃないですか、これって。うっかりすると代理で投票ができちゃう。なので、その状況を風刺するため「本人」Tシャツ、あるいは「代理人」Tシャツをつくっても良いかなと思ったんですが、えー、これはまた別の機会にやろうと思います。
あと、すみません、これで本当に最後です。実は「代理人」で、ちょっと思ったことがあります。日本の間接民主主義のシステムでは、ぼくらの選ぶのは、ぼくらの代表です。つまりぼくらの「代理」として国会で政治を行ってもらう人ですよね。でも実は、ぼくらの投票だって、本質的には「代理」行為なんです。誰の代理かっていうと、ぼくたちの前に生まれて亡くなった人たち、そしてこれから生まれてくる人たち、あるいは何十年か後のぼくら自身、それから、いま投票権のない子供たちや日本に住んでいて選挙権のない外国人の方たちなどなど、いわば目の前の「選挙」にとって「不在」なすべての人です。ぼくたちの投じる1票は、現在のぼくたちのためだけでなく、そうした「不在」の人たちの代理として、ぼくらが投じるべき1票でもあると思います。ぼくらが自分自身を、当事者意識の欠けた「不在者」にしないためにも、そうした「不在」の人たちにもしっかり想いを馳せて、ここにお集まりのみなさん一人一人が、今回の本当に大切な選挙に臨んでいただければと、心から願っています。
ご静聴、どうもありがとうございました・・・あっ、肝心なことを忘れてた!「不在の選挙」展、会場は向島の素敵なオルタナティブスペース、「float」と「ドマトトコ」です。みなさんのご来場、お待ちしています!
2016年7月5日
「不在の選挙」展 第三声担当者 曽我高明
曽我高明
あー、あー、聞こえますか?マイク入ってる?えーと、高いところから失礼します。みなさん、こんにちは!曽我高明と申します。今日はお暑い中「不在の選挙」展・押上駅前立会演説会にお越しいただき、どうもありがとうございま!すごいですねー、スカイツリーの足元に、こんなにたくさんの人が集まってるのを見たのは初めてです。
えーと、ぼくは、この二つ先の東向島駅の近くで、1997年から今年の1月まで、古い工場を改装した場所を使って、現代美術製作所というアートスペースを運営してました。そのほかに、NPO法人のメンバーとして、時々地域アートプロジェクトの裏方なんかも行っています。
さて、このたびアーティストの北川貴好さんから、2016年の参議院選挙に合わせて、「選挙フェス」じゃなかった、「不在の選挙」展を開催したいっていう話を聞いて、それも、政策じゃなくて「選挙そのもの」をテーマにするっていうコンセプトを伺い、そりゃ面白いと思って、即決で参加することにしました。「選挙」という仕組みにフォーカスすることで、よりラディカルに政治的な可能性を秘めた展覧会になると、直感したからです。
それで、その話を聞いたのが、ついこの前の7月1日なんですよ!ぶっちゃけ、10日弱で展覧会を準備するなんて、フツーじゃ有りえないぞって思いましたけど、北川さん曰く「まあ選挙って、たいていバタバタするもんやし」っていう言葉になんとなく納得させられたっていうか。しかも、最初はほんのお手伝いのつもりだったんですが、なんと、ぼくも弾みで作品を出すことになってしまって、今まで運営側にばかりいた人間としては、ちょっと勝手が違うぞと、実はすごく新鮮な気持ちでいたりします、はい。
で、すごく大事な「参議院選挙」ですよねー。7月に入って急に暑くなりましたけど、どうなんでしょう、ぼくらはこの選挙、熱く盛り上がってるんでしょうか?もう、期日前投票を済ませたって人います?あ、けっこういるんですね。でもなんか、ここにお集まりのみなさんは別として、世間では、まだまだ選挙への関心が薄いんじゃないかって、ぼくは心配性なんで、思ったりしてます。「国政」とか「選挙」って、ふだんの日常から遠いですよね。この「遠さ」って、なんなのだろうって、いつももどかしく感じています。
これまで自分がアートプロジェクトの現場で悩んできたのは、参加者に「当事者意識」をどうやって持ってもらえるかっていうことでした。誰かが先にすっかりプログラムを決めてしまって、あとから変更の余地がなんにもなくて、ボランティアの人は単なるお手伝いっていうプロジェクトには、ぜんぜん当事者感覚持てませんよね。一見うまくいっているようでも、実は地域に根付かないんです、そういうプロジェクトは。ぼくも、完全に満足のいく活動なんて一度もできたことはないですけど、参加者一人一人の当事者意識の大切さだけは、いろいろ経験して、いくらか学ぶことができたような気がしてます。
ええと、それで今度の選挙ですが、みなさんには、自分が「当事者」だって実感がありますか?選挙はぼくらの代表を選ぶ大切な機会なんですけど、なんか、立候補している人も、政党も、選挙の仕組みも、みんな自分から「遠い」感じがしませんか?これはぼくらの責任なのか、あるいは、選挙の制度そのものに理由があるんでしょうか?ぼくにもはっきりわからないんです。でもこれって、もしアートプロジェクトだったら、間違いなく失敗のケースなんですよ。こんなにプロジェクトと参加者の「距離」が大きくて、なおかつ参加者の「当事者意識」が希薄な状況って。
ということで「不在の選挙」展の話になりますけど、この展覧会は、さっきもお話ししように、今の選挙のあり方について、自由にアプローチが可能な、ゆる~い括りのコンセプトになっています。もちろん北川さんと事前の意見交換はあるものの、それはなるべく最小限で、参加者の解釈に委ねられている部分が大きい。みんな予算は持ち出しですけど、テーマがテーマだけに、アーティストのモチベーションはとっても高いんです。短期間であっという間に参加者が増えて、とってもカオスで面白い展開になってます。
さて、今回の自分の展示の話なんですが、ぼくは選挙では「組織票」っていうのが長年の疑問でした。この候補者は「組織票」に支えられているから強い、とか言いますよね。あれ、よくわからないんです。ぼくは、どんなに頼りなくても、最後は自分の意思と判断で一票を投じるのが選挙だと思ってきたので、「組織票」っていうのがどうしてもわからない。それに、誰が誰に投票したって、基本的に誰にも知られないはずじゃないですか?なのどうして、票読みができたり、得票数の予測が立ったりするんでしょう。「組織票」を入れる人って、なんて「組織」に忠実な人なんだろうって、いつも感心してます。いや本当に。てことで、ともかく「組織票」は存在してるらしいけど、ぼくは現実には「組織票」を投じている人を見たことがないし、会ったこともない。確かにいるはずなのに、でも「不在」ですよね。これ、作品になるんじゃないかなと思いました。
あ、そうだ、ちょっとこの機会に質問しようかな。この中で「組織票」を入れたことのある方って、います?え、いる?そこの方、あとでお話聞かせてくださいね。
えーと、もうひとつ、今回の選挙で大切なトピックスは、18歳からの選挙権が認められたってことでしょう。今回、選挙年齢が引き下げられて18,19歳合わせて240万人も選挙人口が増えたんだそうです。ここにもたぶんいらしてると思います。でも、高校生はなんだか選挙活動がしにくそうだったり、少し存在感が希薄な感じがします。本当は、彼らがいちばん当事者意識を持っているかもしれない。でもそれが、少なくともこの選挙では、あまり見えてこない気がします。あーでも、ぼくはこの数年テレビも新聞も見てないから、いろんなメディアで特集や取材が組まれてるのに無知なだけかもしれませんけど。
というわけで、「不在」っぽいものを可視化するため、ここに持ってきたみたいな、「組織票」と「18歳」っていう文字を入れた白いTシャツを2種類つくってみました。え?なんで白かって?いやこれ、家の近所の「はんこ屋さん21」で発注したんですけど、最短でつくってもらうんで、デザインに凝る余裕がなかっただけです。で、これを着て、投票に行くもよし、今日みたいに立会演説会を聞きにいくもよし。投票するときにはっきり見えるよう、文字は背中に入れています。それを見た人が、現実の選挙を取り巻く状況について、いくらかでも考えるきっかけに、なるかどうかわからないけど、そんなきっかけになればと。ちなみに、このTシャツを着て、投票所の前で一緒に写真撮影に協力してくれる方も募集中です。「心は18歳!」って方なら、見た目18歳でなくてもOKです。
ついつい話が長くなっちゃいました。あとがつかえてますから、今回使わなかったアイデアを紹介して終わりにしたいと思います。選挙で気になっていること、もうひとつあって、それは投票所での「本人確認」です。ずーっと昔に新宿に住んでいた頃ですが、ぼくの記憶では、当時投票所にハガキを持っていくと、投票用紙をもらう前に生年月日を尋ねられたりしました。でも、いつからか、そういうこと、なくなったんですよね。「曽我さんですか?」「はい」で、本人確認がおしまい。どう考えても簡単すぎるじゃないですか、これって。うっかりすると代理で投票ができちゃう。なので、その状況を風刺するため「本人」Tシャツ、あるいは「代理人」Tシャツをつくっても良いかなと思ったんですが、えー、これはまた別の機会にやろうと思います。
あと、すみません、これで本当に最後です。実は「代理人」で、ちょっと思ったことがあります。日本の間接民主主義のシステムでは、ぼくらの選ぶのは、ぼくらの代表です。つまりぼくらの「代理」として国会で政治を行ってもらう人ですよね。でも実は、ぼくらの投票だって、本質的には「代理」行為なんです。誰の代理かっていうと、ぼくたちの前に生まれて亡くなった人たち、そしてこれから生まれてくる人たち、あるいは何十年か後のぼくら自身、それから、いま投票権のない子供たちや日本に住んでいて選挙権のない外国人の方たちなどなど、いわば目の前の「選挙」にとって「不在」なすべての人です。ぼくたちの投じる1票は、現在のぼくたちのためだけでなく、そうした「不在」の人たちの代理として、ぼくらが投じるべき1票でもあると思います。ぼくらが自分自身を、当事者意識の欠けた「不在者」にしないためにも、そうした「不在」の人たちにもしっかり想いを馳せて、ここにお集まりのみなさん一人一人が、今回の本当に大切な選挙に臨んでいただければと、心から願っています。
ご静聴、どうもありがとうございました・・・あっ、肝心なことを忘れてた!「不在の選挙」展、会場は向島の素敵なオルタナティブスペース、「float」と「ドマトトコ」です。みなさんのご来場、お待ちしています!
2016年7月5日
「不在の選挙」展 第三声担当者 曽我高明