「不在の選挙」展 第八声
田岸伸一郎
立教大学の田岸伸一郎と申します。卒業論文のフィールドワークとして墨田区を選び、地域とアートに関して研究していました。
私は墨田区在住でも、アートに造詣が深いわけでもありません。しかし、日本の政治に疑問を持った若者の1人として、僭越ながら声明文として掲載していただきます。
曽我さんのFacebook投稿を見て、今回の展覧会を知りました。直感的に面白い企画だと感じました。
そして、北川さんにメッセージを送らなければ展覧会を鑑賞できないと勘違いして連絡をしました。後からやり取りする中で出品参加だと知りましたが、引くに引けず作品をつくることにしました(曽我さん、北川さん、ごめんなさい)。
でも、作品がつくれませんでした。
時間的制約もありますが、日常生活で政治を身近に意識していなかったからだと思います。
大学講義のホッブズの政治哲学も、有識者のネットの記事も、他人が情報を解釈したものであり、自分で情報に触れていないし解釈してもいません。
そうした葛藤を抱きながら、「不在の選挙」展の初日に伺いました。
会場にはアーティストの方々が持つ問題意識をもとに、事前調査をした上でつくった作品が並んでいます。
日常生活に埋もれた政治をすくい取り、眼前に晒されるとこで、身を潜めた政治性に敏感になれます。
自分の考えていた政治とは、なんと矮小で、常識にとらわれていたかを痛感しました。
また、会場にいる制作者の方と意見を交わすことで、作品の背景や意図への理解を深められる一方、自分の中に政治へのまなざしが芽生えるのを感じました。
以上、参加動機から葛藤、展覧会鑑賞までの過程を記述しました。
「不在の選挙」展とは、政治の習慣をアートによって解体する、規制緩和のようなものだと想定していました。
しかし同時に、統治する側とされる側という分断を越境し、腐敗した政治を新陳代謝させる試みでもあるのかもしれません。
2016年7月10日
田岸伸一郎
田岸伸一郎
立教大学の田岸伸一郎と申します。卒業論文のフィールドワークとして墨田区を選び、地域とアートに関して研究していました。
私は墨田区在住でも、アートに造詣が深いわけでもありません。しかし、日本の政治に疑問を持った若者の1人として、僭越ながら声明文として掲載していただきます。
曽我さんのFacebook投稿を見て、今回の展覧会を知りました。直感的に面白い企画だと感じました。
そして、北川さんにメッセージを送らなければ展覧会を鑑賞できないと勘違いして連絡をしました。後からやり取りする中で出品参加だと知りましたが、引くに引けず作品をつくることにしました(曽我さん、北川さん、ごめんなさい)。
でも、作品がつくれませんでした。
時間的制約もありますが、日常生活で政治を身近に意識していなかったからだと思います。
大学講義のホッブズの政治哲学も、有識者のネットの記事も、他人が情報を解釈したものであり、自分で情報に触れていないし解釈してもいません。
そうした葛藤を抱きながら、「不在の選挙」展の初日に伺いました。
会場にはアーティストの方々が持つ問題意識をもとに、事前調査をした上でつくった作品が並んでいます。
日常生活に埋もれた政治をすくい取り、眼前に晒されるとこで、身を潜めた政治性に敏感になれます。
自分の考えていた政治とは、なんと矮小で、常識にとらわれていたかを痛感しました。
また、会場にいる制作者の方と意見を交わすことで、作品の背景や意図への理解を深められる一方、自分の中に政治へのまなざしが芽生えるのを感じました。
以上、参加動機から葛藤、展覧会鑑賞までの過程を記述しました。
「不在の選挙」展とは、政治の習慣をアートによって解体する、規制緩和のようなものだと想定していました。
しかし同時に、統治する側とされる側という分断を越境し、腐敗した政治を新陳代謝させる試みでもあるのかもしれません。
2016年7月10日
田岸伸一郎